水害の経験

人吉医療センター 下川 恭弘

 前回この欄に洪水について書いたところ、なんとその翌年に水害に遭ってしまいました。
 令和2年7月3日の深夜から4日の朝にかけて球磨川流域に、幅70㎞、長さ280㎞の大規模な線状降水帯が形成されて記録的な集中豪雨となり、300年に一度といわれる規模の球磨川の洪水が発生しました。4日土曜日の朝に人吉医療センター周囲は約70㎝浸水し、一階フロアに泥水が流れ込んで大型医療機器やエレベーター、上下水、固定電話、インターネット、電子カルテなどが使用できなくなりました。夜勤の職員や駆けつけた職員らが建物や物品の浸水対策を行い、二階フロアに災害医療エリアを設置して、発災後2日間で救急車63台、118名の傷病者を受け入れました。4日の昼頃には水が引き、泥だらけになった一階フロアの清掃や医療機器の復旧を行って6日の朝から平常診療を再開しました。
 これまで当院は水害の経験がなかったので油断していました。国土交通省の『重ねるハザードマップ』では計画規模(河川整備の目標とする100年に1回程度の規模)の降雨量による洪水浸水想定区域に当院は入っていません。平成27年の水防法改正により公表された想定最大規模(1000年に1回程度)の降雨量では当院は3~5mの浸水想定区域に入っていますが、「千年に一度なら自分が生きている間には起こらないだろう」と考えていました。しかし何年に1回程度というのは災害の周期ではなく確率を表していることを後で知りました。最近は日本近海の海面水温の上昇などでその確率が高くなっているのだと思います。
 この水害で医療機関の浸水対策の重要性を感じました。人吉市の医科医療機関四四か所のうち29か所が診療不能となり、診療再開までに最長4か月かかり、二医療機関は廃院となりました。当院は建物の入り口に防水板を設置して院内の浸水を10㎝程度にくい止めることができたため、一階フロアに設置してある大型医療機器は二日後に稼働を再開することができました。しかし、水面があと数センチ高ければ電子基板が浸水して廃棄処分になっていたことが後で判明しました。大型医療機器は高額でありかつ医療継続のためには必須の設備です。画像検査室の扉や機器にたいして応急的な防水対策を行いましたがやはり上層階への設置が望ましいと考えています。非常用自家発電機は上層階に設置していますが、地下の燃料タンクから発電機へ燃料を送るギアポンプは1階にありますので浸水に備えてポンプの位置を上げました。人の動きも重要で、地震災害と違って豪雨災害は気象情報などをもとに発災の前から準備を始めることができます。現在当院では豪雨が予測された時に、どういう状況になれば、誰が、何を、どのように行うか、を具体的に決めておく『豪雨時のタイムライン』を作成しているところです。
 今回の災害により熊本県で65名の方が亡くなられました。豪雨災害から命を守るためにはリスクの高い場所に住んでいる人、とくに高齢者が確実に避難できるようなタイムラインを整備することが最も重要で急ぐべき施策です。国や自治体ではダム建設計画が再燃していますが、ダムの流量調節効果は限定的で環境負荷による損失が大きいと思います。将来の世代のために、浚渫、遊水地、田んぼダム、山林の保全、土地の利用制限などの自然と共存する治水に重点を移していくのが賢明だと思います。

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