自宅療養雑感
熊本赤十字病院 山家 純一
この夏、はじめて、新型コロナウイルス感染症に罹患しました。
診療時は感染防護に努め、ワクチンは今年の1月に5回目接種済み。解禁ムードの飲み会の参加もせず、家族との外食もこの数年で数回程度・・・・なかなか手強い相手です。
発症日(day0)~day2までは気道症状は目立たず、発熱・頭痛・強い倦怠感が主症状で、次第に強い咽頭痛に悩まされ、鼻汁・乾性咳嗽といった症状を伴うようになり、これも緩徐に改善傾向。day5にはお粥が摂取できるまでに咽頭痛が改善。day6には易疲労感・倦怠感以外はほぼ体調は戻りました。
私の職場では免疫不全のハイリスク因子がなければday7までを自宅待機としています。この間、自宅2階にある寝室・トイレ・洗面台を占有して、病初期のセットアップ以外は家人も立ち入らず、必要なものは妻に頼んで部屋の前に「置き配」。シャワーだけは中高生の子どもたちが不在の間に済ませる・・・トイレ、手洗い・歯磨き、入浴以外は寝室から出ず、ほぼ完全隔離生活が完成しました。
さて、他者と会話しない生活がはじまりましたが、コミュニケーションという点では意外と困らないことに気付きます。LINEの存在です。
職場への報告、上長への報告、飲物やクーラーボックスに入れる氷など必要物資のリクエストや、子どもの部活の連絡などすべてLINEで事足ります。文語表現だけでなく、口語表現や時にはスタンプだけでいとも簡単に伝達が可能です。子どもたちと話していると、時に話の文章構成や、表現力に疑問を持つことがありますが、実はLINEでのやりとりの多い生活環境で、文章構成やコミュニケーションのスキルに問題を抱えているのでは?と、思ってしまいました。事実、こうやって、原稿を書いている私本人も文章表現力のなさ、日本語表現力の低下に驚いている次第で、LINE多用の弊害を実感しております。
外界と疏通を制限し休んでいると、この後、控えているいろいろな仕事(宿題)が次々に頭をよぎり始めます。さほど仕事熱心でないにもかかわらず、いざ療養といわれると、身体がきつい中でもなかなか「無」とか「休」の気持ちにはならないことに驚きます。体調が快復してきた今、思うに、これは夏休みの宿題を気にしながら家ですごしている小学生時代の感覚に似ています。
換気のために開け放った窓からは台風の影響か、生ぬるい強風が吹き込み、酷暑の中、蝉の声が一定のリズムで騒がしく耳鳴りのように聴覚を刺激します。小学生の頃、午前中でノルマを終わらせて遊びに行こうと思っていたのに一向に苦手な算数の課題が進まず、蝉の声にせかされて焦るばかりで結局時間だけが過ぎていく・・・そんな「焦燥」の情景が思い出されました。
まさに「焦燥」なのだと思います。職場や家人に多大なる迷惑をかけ、とても申し訳ないという気持ちの中、体力への不安を抱えながら、明日から職場復帰。身体は充分休ませて頂きましたが、色んなことを考えながら過ごす療養期間は実は精神的には意外と休まらないものなのだと学びました。5類移行したとはいっても「コロナはやっぱりコロナだ」。思わずそうつぶやきたくなる自宅療養でした。