ジョギングが教えてくれた、地元・熊本の歴史
熊本中央病院 西田 健朗
48歳の頃、患者さんから「先生、太ったんじゃない?」と何気なく言われた一言に背中を押されて、体重管理と健康維持のためにジョギングを始めた。運動はもともと苦手で、スピードを競えるような走りではないが、続けるうちに次第に楽しみを見出すようになった。中でも大きな楽しみは、ジョギングを通じて地元・熊本の歴史に触れられることである。走っていると、神社や仏閣、古くからの街道、そして気になる地名に出会うことがある。
たとえば、上南部を走っていたときのこと。「王田(おうだ)」というバス停を見かけ、その近くに「奈我神社乙姫宮(上南部乙姫神社)」があるのに気づいた。気になって調べてみると、なんとこの地域には中大兄皇子(後の天智天皇)ゆかりの伝承が残っているのだ。660年、中大兄皇子は母・斉明天皇とともに、滅亡寸前の百済を救援するため、九州・筑紫まで遠征していた。しかし翌661年、斉明天皇が筑紫で崩御。皇太子である中大兄皇子は即位せず、斉明天皇の死を秘したまま政務を執る「称制」の形で百済救援を継続した。ところが663年、「白村江の戦い」で大敗し、百済の復興は叶わぬものとなった。それどころか、唐・新羅連合軍の日本本土への侵攻の懸念が高まり、九州各地には防衛のための城が築かれるようになった。この激動の時代に、中大兄皇子が各地を巡幸していたとの伝承があり、熊本にも立ち寄ったとされている。彼が宿泊した場所が「王田」であり、その地で神武天皇の母・玉依姫命が夢枕に立ち、「神社を建立せよ」と告げたことから、663年に奈我神社乙姫宮が創建されたのだとか。さらに、近くにある「中江」という地名も中大兄皇子に由来するとのこと。まさか熊本に、そんな歴史の足跡があるとは思ってもみなかった。
また、時には益城町まで足を延ばすこともある。県道28号線を東に進むと「津森神宮」が現れる。「津」は船着き場を意味するが、現在の益城は山間にあり、海とは無縁に見える。しかし、縄文時代の海進(縄文海進)によって、当時は現在よりも海面が1メートル以上高く、益城の平野部は海だったと言われている。その海岸線に津森神宮があったというのである。創建は540年、今から1500年も前の話である。
国道443号線を南下すると、左手に「木崎荒帆神社」がある。ここには、百済から来た日羅が乗った船が転覆し、亡くなったとされる船頭48人が祀られているという説がある。「荒帆」という名前からも、当時のこの地域が海に面していたことが想像される。ちなみに、日羅は葦北出身で百済王に仕えた人物。彼は583年に帰国しており、その際に遭難したかどうか、記録は残っていないようであるが、遭難したのかもしれない。そんなことを考えながらジョギングしていると、見慣れた町並みの風景もまったく違って見えてくる。
私は、事前に地域の歴史を少し調べてから走り、気になったことを帰ってから調べ直し、もう一度走って確かめる、ということを繰り返している。運動することを目標とせず、運動することで得られるものを目標とすることで、継続できていると感じている。歴史探訪のような楽しみが加わり、心も体も満たされる時間になっている。おかげで、体重も安定し、BMI 22を何とか維持できている。
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