テレビドラマ「ふてほど」に思うこと

 くまもと森都総合病院 鈴島 仁

 医者を長年やっていると、ここ数十年で激変した周囲の職場環境の変化に戸惑いながら、昔を感慨深く懐かしむことが時々ある。医療の面では電子カルテの導入によりカルテに記載される内容が膨大に増加し、訴訟リスクを減らすため病気の説明やいろいろな手技の説明内容を事細かに記載する必要があり、読めない英語や略字で乏しい所見がお飾り程度に記載してあった昔の紙カルテを20~30代の医師が見たら卒倒するだろうなと常々感じている。医療安全や感染対策も進歩してきている中、常にマニュアル通りに一つ一つの医療行為に制限をかけており、管理職という立場上、“マニュアルどおりにやってください”と職員に声掛けせざるを得ず、行き過ぎの面があるのではないかと、自分自身何となくもやもやすることがある。さらに病院管理の面では、パワハラ問題、セクハラ問題、挙句の果てはペイハラ問題、臨床倫理の問題というのが四六時中発生し、その対応に日々追われている自分が、“本当に私は医者なのだろうか?”と感じてしまう始末である。医者だけでなく特に看護師の世界でもパワハラは重要な問題で、部下に対する指導とパワハラの境が曖昧なため(パワハラは受けた側がパワハラと感じればパワハラなため)、医者も看護師も部下の指導が十分にできないという負の面がかなり強くなっていると感じる。

 そんな中、普段ドラマはほとんど見ない私が、昨年流行語大賞にも選ばれた「ふてほど」のドラマの内容が気になり見てみたいと思っていた矢先、年始に全話一挙に再放送されるということで、早速録画し正月休みの間に堪能させてもらった。内容は、私が大学を卒業した年の1986年、まだバブルが崩壊する前であるが、この時代にいる主人公がタイムマシンで現代にタイムスリップするという、よくあるストーリーではある。しかし、そこはさすがの宮藤官九郎作品のため、展開が早く視聴者に休憩する隙を与えず、最終話まで一気に突っ走ってしまうため、たった2日間で全話見終えてしまった。1986年の主人公は中学校の鬼の体育教師で野球部顧問という設定であったが、部活でミスをした時の全体責任、ケツバット、部活中の飲水禁止など、こてこてした昭和の習慣が当たり前だった主人公が、現代にタイムスリップした時にバスの中で喫煙していたことが周囲の顰蹙を買うというイントロダクションでドラマは始まる。その主人公がたまたま入った現代のレストランで、パワハラのための聞き取り調査を受けている会社員とコンプラ委員会の人たちの会話を聞き、“それっておかしいよな”と突っ込みを入れるわけであるが、この場面が、いつもコンプラ委員会で悩んでいる私にドストライクであった。昭和が良かったとは決して言わないが、今の時代の上司の部下への指導に常にコンプライアンスを考えながら行わなくてはいけないのは、やはり行き過ぎではないかと、つい考えてしまった今年の正月であった。

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