頑張れ!地方創生
桜十字病院 中村 正
日本地図を南北逆さにして日本海を囲む列島地図を想像すると、能登半島は日本の端っこから中心へと場所が移動する。実際江戸時代、現在の表日本と裏日本の立ち位置は産業や人の賑わいなど今とは反対で、昨年、大地震と豪雨でさんざんな被害を受け、未だに遅々として復旧が進んでいないこの地方は、江戸期を通じて裕福な土地柄であった。当時は厳格な身分制度があったが、田畑を所有せず身分的には小作人とされていた地域の住民が、実は海運業などで莫大な富を得た船主や船頭であり、このことは、司馬遼太郎作『菜の花の沖』の主人公高田屋嘉兵衛を彷彿とさせる。嘉兵衛は淡路出身で士農工商の枠外の身分に等しかったが、才気煥発、運の良さ、商機を掴む才能、などで海運業や商いで財を成し、蝦夷地開拓やロシアとの通商での手腕は、閉塞しきった武家社会(徳川幕府)を横目に、小気味よい小説の展開と相俟って、新しい社会の到来に期待感を抱かせる。
江戸幕府の収入は年貢米であったが、江戸中期になると貨幣経済の発達で諸物価に比べ米の価格は低迷し幕府財政は危機に陥った。財政再建のために銭価による収入に注目したのが賄賂政治家田沼意次で、田沼は特権的商人を保護して税を集め、貿易や蝦夷地開発などで税収を増やそうとした。この時期に高田屋嘉兵衛が活躍するのだが、浅間山大噴火などの災害や天明大飢饉のために米価が高騰し、百姓一揆や打ちこわしの騒動が多発し田沼は失脚、松平定信の「寛政の改革」へ移る。NHKの大河ドラマ『べらぼう』で察しのとおり、遊郭吉原の活況や歌舞伎、浮世絵などの江戸文化が一方で開花した。能登は僻地どころか北前船が行き交い米を含む多くの物資が運搬され、日本海交易の表玄関として殷賑を極めていた。
石破内閣の看板政策のひとつが「地方創生」であるが、能登の遅れた災害復旧が象徴するかのように地方創生の影すら見えてこない。『菜の花の沖』で嘉兵衛は幼少の頃、極貧の農民として差別を受けたが、社会の枠を超えた活躍により人々から尊敬され、感服される存在となってゆく。勇気と情熱をもって身分社会の中でも「みな、人ぞ」という自らの信念に従い、時代の変化に果敢に挑む姿が描かれている。地方創生に向けて、自分の立場や環境に対して受け身にならず、能動的に行動することの重要さや創意工夫の大切さを嘉兵衛が教えてくれる。「自らの利は薄く」という嘉兵衛の姿勢は言うは易いが、現代社会においても通じる。テクノロジーの発展や情報の多様化が進む中で独自のアイデアや視点を持ち、新しい価値を創造しようという努力は江戸期も今も同じ。困難や挫折に直面しても折れない心と柔軟な思考で、そこから学び再挑戦する意欲を持ち続けることをこれからの若者に期待したい。
地方創生には地域医療も深く関わってくる。医師の生き方が多様になり、存在ではなく機能が重んじられる。都市部と地方の医療格差は厳然としてあり、地方に住んでいると医療の機会均等からも離れてしまう。その差をAIなどで狭められるかもしれないが、今後医療を取り巻く環境は大きく変化してゆくであろう。稀に手にする、既に絶版となった『よき臨床医をめざして全人的アプローチ』(P- hilip A.Tumulty著、日野原重明訳、医学書院)がセピア色になり本棚に積まれているが、その書の普遍的な精神は時間がいくら流れようと変わらない。残念なことに患者に寄り添う姿勢は完全とはいえず、この歳になってもまだまだ未熟者である。地方における新たな医療構築の創生を願う。