水害タイムライン

 人吉医療センター 下川 恭弘

 災害は忘れた頃にやってくるといわれますが、最近の豪雨災害は毎年やってくるようです。2020年7月には熊本県南に線状降水帯による豪雨災害が発生し、球磨川が氾濫して人吉医療センターも浸水しました。人吉医療センターは1878年に公立人吉病院として今の場所に開院しましたが、それまで浸水した記録がなく、病院が浸水するとは誰も思っていなかったため、洪水警報、緊急避難指示、球磨川の氾濫情報など次々に重大な情報が発信されても浸水対策は行われませんでした。市房ダムの緊急放流の情報をきっかけに防水板を設置しましたが、一部では間に合わず院内に泥水が流れ込んで1階フロアが使えなくなりました。その教訓から浸水時にも災害拠点病院としての機能が継続できるように取り組んでいます。建物や大型医療機器などの防水対策、浸水時の電気や水の確保、備蓄の見直しなどのハード面の整備とともに、ソフト面の対策である水害タイムラインを策定しました。地震災害はいつどこで起こるか分かりませんが、豪雨災害は気象情報などで発災が予測され、またハザードマップなどで浸水区域や浸水の深さも予測されていますので発災の前から防災行動を始めることができます。水害の発生が予測された時に、どういう状況になれば、誰が、何を行うかを具体的に決めておくのが水害タイムラインです。

 タイムラインの策定に当たってはまず大雨の時にやるべき事項(タスク)を洗い出しました。雨量や河川の水位などの情報収集、職員への連絡、備蓄の確認、防水板設置や物品の移動、災害モードへの切り替えなど多くのタスクがあげられました。次にこれらのタスクを行う担当者や担当部署を決めていきました。タスクをいつ行うかについては2020年7月豪雨を参考にして平時から発災に至るまでの時間(リードタイム)を5つのステージに分け、タスクに要する時間やタスクが通常診療に与える影響などを考慮してそれぞれのタスクをどのステージで行うかを決めていきました。ステージを上げる指標(トリガー)は重要で、ステージを上げるのが早すぎると空振りに終わることが多くなり、逆に遅すぎると準備が間に合わなくなります。議論の末、トリガーは球磨川の水位と京都大学防災研究所が開発したRRIモデル(Rainfall-Runoff-Inundation model)を使うことにしました。RRIモデルは雨量や地形のデータを用いて河川の水位を予測するシステムです。2022年4月に当院の水害タイムラインが完成し、災害訓練や球磨川が増水した時にタイムラインを使用して検証や改訂を行っています。

 ヒトには正常性バイアスといって自分にとって都合が悪い緊急事態が発生した時、情報を過小評価して平常心を保とうとする心理が備わっているそうです。災害時に正常性バイアスによる対応の遅れをなくすためには客観的データに基づいたタイムラインが有用です。とくに医療機関や福祉施設、地域のコミュニティにおいて、タイムラインは災害から命を守るためのツールであると思われます。

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