いのちのオノマトペ

 済生会熊本病院 中尾 浩一

 ブルガダ症候群という病態がある。心室細動のため突然心臓が停止し、最悪の場合死に至る。その背景には心臓の電気現象の異常があり、15~30%の症例では心筋細胞膜のイオンチャネルを支配する遺伝子に変異がある。かつて「ぽっくり病」と呼ばれた病気の一部とされる。この「ぽっくり」という擬態オノマトペは、殆ど突然死にしか用いられないが、ブルガダ症候群の発症は若年男性に多い。その死がもたらす悲嘆や影響の大きさを考えると、「ぽっくり」にはどこか慎みを欠く音感がある。

 ぱらぱら、ぷっつり、ぺらぺら、ぽろぽろ、そして「ぽっくり」。声帯を震わせず唇で作る破裂音「ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ」を含むオノマトペには、ある種の軽さと可笑しみとペーソスが含まれているようだ。例えば「ぴんぴん」。活動的で元気な様子を示すが、普通若者には使わない。高齢者や患者、あるレベルの身体リスクを抱えた者の元気さを表す。もし誰かがあなたのことを「ぴんぴんしてる」と明るく表現したとすれば、その話者は無意識の内にあなたに微かな死の匂いを嗅ぎ取っているのかもしれない。実際、「ぴんぴん」は「ころり」と相性が良く、両者が繋がると「ぽっくり」のお仲間である。

 では、突然死のあり様が何故「ぽっくり」なのか。流行りのAIに問うと、祇園辺りで舞妓さんの履いている「ぽっくり下駄」からとのこと。底をくり抜き、爪先を前のめりにし、表面を楕円形にした歯のないあの下駄である。「日本語では、音の響きが感覚や状況を表現することが多く、この下駄を履いて歩く時の『ぽっくり』という音が突然の出来事を示唆するため」と言う。なるほど。何となく分かるが、どこかすっきりしない。なぜ、突然の出来事が、ほぼ死に限られるのか。なぜ、「親せきの叔父さんがぽっくりやってきた」とは言わないのか尋ねると、「面白い表現ですね!日本語の表現は本当に豊かで、こうした言葉遊びができるのも魅力の一つです」とはぐらかされた。

 ブルガダ症候群はさておき、齢を重ねると私たちは「ぽっくり死」を希求する向きがある。人生百年時代、健康寿命が終わると、人は他者の世話にならざるを得ない。寝付いた末に苦しんで死ぬのは辛いし、何より周囲に迷惑をかけたくない。そんな気持ちは、祈願の寺まで作った。自分の享年、死に方なぞ、自分で決められるものではないが、死への恐怖と寂寥を「ぽっくり」と言うオノマトペで優しく包み込んだのは、正に日本語の豊かさなのだろう。 去る一月、「ことば」をテーマにした市民フォーラムを主催した。その鼎談で司会者から不意に座右の銘を問われ、つい口走ったのは「永遠に生きるかのように学び、明日死ぬかのように生きる」というガンジーの箴言である。後になって、あれは座右の銘などではなく、叶わぬ境地だったと大いに反省したが、思えばあのガンジーが求めていたのも、ある意味「ぽっくり」に他ならないのである。


 

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