生涯剣道
阿蘇医療センター 甲斐 豊
私は小学2年生から、自宅近くに新設された剣道場「順道館」(熊本市北区)で剣道を習い始めた。その当時は、1学年20人は在籍しており、館長が西島末彦氏で自衛官OBであったことから、指導者は全員自衛官の剣道経験者であった。公務員であるため、指導料は一切取らずボランティアで指導いただいた。道場三訓(一 私は礼儀を守ります 二 私は父母の教えを守ります 三 私は鍛えた体で勉学に励みます)を毎日、稽古前に全員で唱和し厳しい稽古を継続した。6年生になると、1学年はレギュラー5人に絞られたが、精鋭メンバーにより熊本県内の小学生の大会で、複数回の団体優勝をする強豪チームに育ち、日本武道館での全国大会にも出場した。道場三訓を守ったおかげで、メンバー5人のうち3人はその後、医学部に進学し、私は熊本大学、1人は防衛医科大学、もう1人は島根医科大学剣道部のキャプテンとして西医体・東医体で活躍し、団体優勝・個人優勝も経験した。
医師になり、脳神経外科を専攻したこともあり、忙しさを理由に10年ほど剣道の稽古から遠ざかってしまっていた。2001年4月、第36回全日本医師剣道大会が熊本で開催され、笹原登先生(当時御船の笹原医院院長)が大会会長に就任された。事務局長は由布雅夫先生(当時菊池恵楓園園長)が大会準備をされ、私が事務局の実働部隊として携わった。この全日本医師剣道大会は、1959年に第1回大会が開催され、毎年開催地を変更し、現役医師が剣道修練を継続しながら大会に参加し、毎年150~200名の医師が参加する大会である。
熊本大会で、立ち合い(同じレベルの参加者同士が、2分間の模擬試合を行う)が行われた際の大将戦は、東軍が大会会長の笹原登先生(92歳)、西軍が、茨城県の大祢一郎先生(92歳)であった。お2人あわせて180歳を超えるとアナウンスがあった。当時笹原先生は、歩行時に杖を2本使われていたが、竹刀を持たれるときちんと構えられ、そのお姿は剣士然として気品さえ漂い、ふだんは杖に頼っておられる方とはとても想像し得ないものがあった。会場の参加者の多くが感動の余り眼に涙して見守る立ち合いとなった。この光景は私の胸に今もなお刻まれている。医道も剣道も一貫された生涯に心を打たれた(両先生は伴に2005年に96歳で逝去されている)。
これをきっかけに剣道の稽古を再開した。大学生時代に取得した五段のままから昇段できずにいたが、2010年に六段、2011年に錬士、2017年に七段、2019年に教士を取得できた。現在も、土・日しか稽古ができないが年間100回の稽古を目標に剣道修行を続けている。今後、七段取得10年後に八段審査が受けられるので、2027年受験を目標に生涯剣道を継続したいと考えている。ちなみに八段合格率は1%以下で、年3回開催される昇段審査で、毎回1000人受験して、合格者は6~7人という狭き門であるが、「継続は力なり」の精神でチャレンジしたいと考えている。