勤務医の定年

済生会熊本病院 橋本 洋一郎

 令和4年3月に29年間働いた熊本市民病院を定年退職しました。41年間の勤務医生活でした。大学病院勤務時(30歳台前半)には60歳までしっかり働くと考えていました。「割愛願い」に署名と捺印して、平成5年4月に熊本市民病院に赴任しました。就職ですかと聞かれると、大学の医局人事で来ていますので、まずは3年頑張りますと答えました。3年ごとに次の3年間にやることがあるかを考えて、結果として定年まで勤務を続けました。
 多くのピンチをチャンスに変えて、結構、面白いことをやったと思っています。第八回日本栓子検出と治療学会と第九回日本禁煙学会学術集会の全国学会、さらに多くの会を主催させていただきました。
 熊本地震で4名いた神経内科医が私1名となり、日本頭痛学会の主催を断念しました。地震直後には頭部CTも行えない中での外来診療では、それまでに培った症候学が役に立ちました。一人でいかに医療レベルを維持・向上させるかという課題が生じましたが、片頭痛治療薬の開発治験参加、medical tribuneの脳卒中関連の毎月の連載(e-pubレベルの論文を探して、解説し、自分の意見を述べる)、多くの依頼原稿を断らずに書き続けたことなどでどうにかしのぎました。治験をした三剤(エレヌマブ、フレマネズマブ、ラスミジタン)は発売され、臨床の現場で活用するとともに、全国に向けて片頭痛のWEB講演をさせていただいています。
 「脳卒中と循環器病克服五か年計画」の策定に加わらせて頂き、脳卒中センターの提唱などをさせていただき、実際の制度設計や認定作業など膨大な仕事を学会内で担わせていただきました。論点整理やロードマップという言葉が飛び交う会議をいくつも行いました。常時、4つほどの班会議の班員も仰せつかって、世の中の流れを先取りして感じることができました。
 病院が新築移転して、2年半勤めて定年となりました。定年後は色々とやりたいこと(一番は神社仏閣・城と温泉巡り)もありましたが、頼まれたら原則断らないということで、定年後の職場を熊本県健康福祉部健康局国保・高齢者医療課(熊本県国民健康保険指導監査専門医、2日と2時間)と済生会熊本病院脳卒中センター(特別顧問、2日と5時間、週20時間勤務で社会保険付き
)の併任、さらに社保の審査とともに国保の審査も兼任するようになりました。すべて非常勤であり、病気やケガをして働けなくなったら、そこまでで勤務医人生は終了となります。今年、高野山の金剛峯寺で法話を聴いたときに、「自分が死に向かっているのではなく、死が自分に向かってくる、それはいつか分からない」という話でした。
 公的病院や学会役員の定年制度は、後輩に権限を移譲して、活躍の場を与えるという意味では必要だと思います。また自分にとっても人生のリセットができます。地道にコツコツと臨床をして実績を積めば、色々と声をかけてくれるものだなと思っています。色々な学会活動や社会活動も継続しています。定年後も役割があるうちはしっかり勤務医としてやっていきたいと思っています。

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