自由と責任

桜十字病院 中村 正

 2001年6月プラハで開催された欧州リウマチ学会に出席した。プラハはチェコ共和国の首都で自由でおおらかな雰囲気ではあったが、古風荘厳な中世の佇まいを残す美しい街であった。「プラハの春」に対して、今回のウクライナ蛮行のように1967年8月ソ連を主としたワルシャワ条約機構軍はヴァーツラフ広場に戦車を乗り入れ多くの市民が犠牲となった。だが、1989年11月には30万もの人々がこの広場を埋め尽くし、一滴の血も流すことなく共産主義政権を崩壊させたビロード革命を成し遂げた。自由を求めたチェコ人の熱意と国民性に思いを馳せながら散策したヴァーツラフ広場の情景が今でも鮮明に目に浮かぶ。
 2月24日ロシアの理不尽なウクライナ侵攻が今となってはあまりにも見慣れた光景になり、強烈な印象が心の中で次第に希釈されてゆく。遠く離れた場所での惨状と受け取ってはいけない。平穏なウクライナ市民の日常を崩し、「祖国の将来のための戦争」と愚かしい大義を掲げ、嘘と恐怖で自国民を塗り固め、過ちを繰り返すプーチンの愚行はただ悲しみだけを残してゆく。
 日露戦争後の日本は正確な情報を国民に教えようともせず、国民も知ろうとせず、戦争勝利を神秘化し、国民の理性が大きく後退した狂躁の昭和前期を経たが、明治後期辺りのロシアの歴史は興味深い。ロシア国家の本能は略奪であり、この侵略癖はお国柄でフィンランドの次にスウェーデン戦争をおこし、ポーランドも割取し、いつも武力で土地をかすめ取った。侵略戦争はロシアが土地を奪うための常套手段である。ロシア帝国のバルチック艦隊が七か月間をかけて地球を半周する大航海をしてついに極東に達したが、対馬付近での日本海海戦で東郷艦隊にほぼ全滅させられた。このような自虐的歴史は今回も繰り返してほしい。
 もちろんどの国も腹の中は複雑で国どうしは独特の利害関係を持ち、利害を打算しながら手に汗握って状況を見つめている。4月7日の国連人権理事会でのロシア資格停止の協議でも反対24・棄権58国であった。関係ある外国との適切な調整に配慮するのが外交なのだろう。適度に距離を保ちながら指導者を衆人監視したい。政府公認の特殊マスクの不良在庫が大量に生じ、観桜会も
逃げきった元リーダーは、ウクライナ侵攻後に不可解な「核共有」などと発言し実に軽薄であった。某党首は「自衛隊は違憲だ」とのこれまでの主張を翻し「自衛隊による国民と日本の主権擁護」を軽率にも発した。政治家が政策決定するとはいえ、国家をどのような社会にするかを決めるのは最終的に国民であることを忘れてはならない。いまカギを握るのはロシア国民であり、プーチン犯罪の責任は問われるべきである。
 どのような組織であれ指導者の要は人柄で、一個の人間を作り上げる生い立ちや受けた教育等々、多くの要因が影響する。私はやさしくありたいと願ってきたが、耳順を過ぎてもなお思慮浅く、よく過ちをおかす。未だに怒り、自分の都合を優先し、他人に辛く当たり、競争と権威を求めた青春の名残がある。受ける手を差し出さず、与える手を引かず愚痴なく与え、自らの心の奥のプーチンやヒトラーを消し、静かに自由で、ただやさしくありたい。

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